1日とは長いようで短いような。
いざ数年を振り返ってみると、濃いような薄いような。
何かをやり切ったのかと聞かれると何も達成できていない。
ただ、ただ毎日生きることをサボっているわけではなくて
不真面目に暮らしているわけでもなくて、
泣いて笑って、それなりに頑張っている。
そんなここ数年のことを、自分自身で備忘録。
実家暮らしへ
2018年の12月、それまで暮らしていた家を売却し
私の故郷である徳島県の実家に、旦那氏と私と気良々の、夫婦と犬で引っ越した。
旦那氏の変化
思い入れのある家を売却するということは、
苦渋の決断だった。
それはもちろん私だけではなく、きっと旦那氏も同じ気持ちだったのだろうと思う。
当時、旦那氏の仕事は激務で、その激務を毎日こなしていた旦那氏だったけど
仕事からの帰りは遅く、さらに心無い上司の言葉や、本意ではない業務内容をさばいていくというような
”やりたくもない仕事”を、真剣にやらなくてはいけない毎日を送り続けることで、次第に旦那氏の顔色は、目に見えて変わっていった。
かといって、仕事を辞められても困るという私の勝手な気持ちと
日に日に仕事への憂鬱さを醸し出す旦那氏を、心配する気持ち。
そんな、なんとなくボヤッとした感じの気持ちを持ちながら過ごしていたある日の夜、その日も遅くに旦那氏が仕事から帰ってきた。
顔色を、真っ青にして。
「死にたいと思う時がある」
帰ってきた旦那氏の顔色は、真っ青で、
青いを越して、白いような。
そして、泣きそうな顔をして、私に言った。
「もう、死にたいと思う時もあるんよっ‥‥」
私のお義父さん、つまり
旦那氏のお父さんは私たちが付き合い始めた翌年の冬、闘病の末に亡くなった。
大事なお父さんという存在を失った旦那氏は、それ以降、何かのピンチを迎えるたびに
「死ぬこと以外、かすり傷!」
と言っては、その場を乗り越える術を身につけている。(もちろん、私の見えないところで落ち込んでいることもあるのだろうけれど。)
そんな、私には到底追いつけないほどの常にポジティブ旦那氏が、
帰宅早々「死にたい」と口にする。
それは、旦那氏が唯一、プライドや見栄も何もかも置いておいて
本音を打ち明けられる私への、正直なSOSだったのだと思う。
仕事、辞めて。
結婚3年目、2014年に新築した新居は、快適だった。
南向きで日差しは強いけれど、日当たり良好。
朝は東から朝日が差し込み、庭では気良々がはしゃぎ回って
ご近所さんは良い人ばかり。
郊外だけど、市街地には近くて
ほどよく田舎の、ほどよい便利さ。
夫婦二人で住宅ローンを返しながら
富豪ではないけれど、食べることには困らない。
”人並みの幸せ”の基準はわからないけど、自分自身が感じる幸せな生活を送っていたんじゃないかな、とは思う。
そんな、不自由はない生活だったけど
それはあくまでも、旦那氏がいつも私のそばにいる、という旦那氏ありきな状況の上に成り立っている生活で。
「死にたい。」はっきりと、私に言う旦那氏。
ふと考えた時に、怖くなった。
すべてに限界を迎えた旦那氏が私の知らないところで、消えていってしまったら、どうしよう‥。
家がどうのこうの、
日当たりが、便利さが、庭が、ローンが、そんなことは一気にどうでもよくなって
「死にたくなるとか思わんといて。仕事も辞めて、収入なんてなくなっても、なんとかなる。」
旦那氏が青白い顔で帰宅したその夜、旦那氏に伝えた。
とんとん拍子に進む家の売却
旦那氏が仕事を辞めることとほぼ同時に、
快適に暮らしていた家は売却することで話を進めた。
「なにも、家を売ってまでして退職することもないだろう」
「家を売らなくても、そのまま転職でも良かったのでは?」
と思う人もいると思う。
私の勝手なワガママで、昔からひっそりと抱いていた希望に
「結婚するまでに、一旦実家で両親と暮らす」
という気持ちがあった。
だけど、
高校卒業後すぐに実家を出て一人暮らしをしながら専門学校に通い、
そのままその土地で就職しその数年後に旦那氏と出会い結婚に至ったので、結婚前に実家に戻るという計画は、叶うことがなかった。
そんな私の気持ちを知っている旦那氏と相談して、
「CHIKAの実家に、帰ろう」
という決心をすることになる。
長く停滞してよどめきながら、旦那氏も私も、お互いがなんとなく『苦しいな、窮屈だな』と感じていたのに、
そんな気持ちにはお互いが気づかないふりをして、蓋をしつつ生きていた暮らしが、ゴトゴトと変わっていったのがこの頃で。
売却を考えた家はすぐにご縁があり「ぜひこの家を買いたい」というご家族に引き渡すことになる。
新しい暮らしへ
それまで暮らしていた香川県から私の実家がある徳島県へ引っ越したのは、2018年12月のこと。
実家暮らしの苦悩
家を売却して、旦那氏と気良々と一緒に実家に戻ることを、両親は快諾してくれた。
動物と暮らしたことがない両親だったけれど室内飼いの気良々のことにも理解があって、我が子のように可愛ってくれ、気良々のお世話も一緒にしてもらったりと本当にありがたいサポートだったと思う。
旦那氏と両親はそれこそ血のつながった親子のようで、結婚する前から会話も敬語は使わずに気兼ねない関係。
ただ、それが逆に私の立場からはしんどくなるときがあったのも事実。
簡単な状況を言うと「間に挟まれる」という表現が正しいのかな。
この話は、話すと長くなるので割愛しますが。
また別記事に書こうかなと。
(なにしろその頃、状況がしんどすぎて同じ境遇の人がいないか探すためにググりまっくてた。実家に引っ越して逆に私が精神的に病み、『自殺する前に頼る心のサポートLINE』的なアカウントに登録したりして)
自分の実家で両親と、夫と完全同居する女性の苦悩。
私が経験して乗り越えた考え方や受け止め方が、いつか同じ苦しみを持つ誰かに届いて、ほんの少しでも心が楽になってもらえたら嬉しいなと思う。
楽しかったり、苦しかったり、の実家暮らしから
結局その後、実家には約4年間暮らし、その間は本当に本当に、いろんなことがたくさんあって。
2022年8月、旦那氏と気良々と暮らしていた香川県に戻ることになった。
実家を出ることを伝えた時の両親は、もちろん寂しがってしばらくしょんぼりしていた気がするけど、『Chikaたちの人生。いつでも2人と気良々で、帰っておいで。』そう言って、送り出してくれた。
わかってはいたつもりだったけど、親の愛情は、計り知れないなぁ。と、改めて思い知る。
人生、いろいろ。
人生の大先輩方からすると、30代後半なんて、まだまだ語りに入るには未熟すぎるのは承知だけど、それでも私がこの数年を暮らしてみて思うことは、やっぱり『人生、いろいろ。』
実家を出てから1年半が過ぎ、再出発した香川県での夫婦+犬1匹の暮らしもずいぶん落ち着いてきた。
いくら過去に住んでいた香川県とはいえ、今までは縁がなかった場所での再始動だったので、楽しみの反面不安もあって。
でも、ようやくまた
『文字を書いたり打ったりしたい。』なんて気持ちとか、
『自分が感じたことや境遇が、同じ気持ちや悩みを抱える人に届いて何かお手伝い出来たらいいな。』なんて、おこがましいけれど、そんな気持ちが湧いてきた。
肩肘張らず、
見栄も張らずに。
身の丈に合った暮らしと心地良い物に囲まれながら、ぽつりぽつりと更新していきたい。
『自分がするべきことを、今は乗り越える』と約束した、大事な人にもいつか届くように。
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