こんにちは!CHIKA(@kirara__12)です。
今回は、10年前の7月に亡くなった、大好きな私の祖父の、掛け時計のお話を。
私の祖父
まずは少し、私と祖父のお話から。
じいちゃんには、私と私の姉、いとこのひろしくん、という3人の孫がいて、
誰よりもおじいちゃんっこだった私は、祖父のことが大好きで、
私の記憶が正しければ、誰よりも近くでいつもじいちゃんにくっついていたと思う。
そんなじいちゃんも、私をすごく可愛がってくれて、
3人の孫の中でも私が一番年下と言うこともあり
ひときわ私のことをいつも気にかけ大事に大事にしてくれる、そんなじいちゃんだった。
昔のじいちゃんはというと、
毎日自分の山へ出向き、山の木を切っては炭焼き小屋で炭を焼き、炭焼きを生業としていたので、
今でもじいちゃんの山には、かつて炭を焼くときに山を守ってくれていた神様がいらっしゃる小屋が残っている。
母からの電話
83歳で亡くなったじいちゃんは、亡くなる2週間くらい前までは電話で話せるくらいの状態で入院中で。
だけどその後、すぐに昏睡状態に入り
夢にも思っていなかった、じいちゃんとの永遠のお別れは
若かった私の心がまったく追いつかないまま、あっという間の出来事で
突然に、迎えることになってしまった。
その頃の私はというと、まだ旦那氏とは恋人同士の状態で。
ある日のこと、
旦那氏と結婚を前提とした同棲への準備期間中に、母から
『旦那氏を連れて、とにかく早めに、じいちゃんの入院先に会いに来たほうがいい。』
との電話が。
入院中のじいちゃんとは2週間前に電話で話をして、
そのときのじいちゃんは会話の最後に私に、いつものように
『ほな、またな。』
と言って、電話を切った。
こないだ電話で話したばっかりやのに。
と思いつつも
『そのうち旦那氏を連れて同棲の報告をしようと思っていたし、母さんもじいちゃんと旦那氏を会わせなさいと言うし。じいちゃんも喜ぶやろうし、旦那氏を連れてじいちゃんのお見舞いに行っとくか!』
母から電話があった翌日、早速旦那氏を連れて祖父が入院する病院へ、会いに行くことになった。
目を見開く、危篤の祖父
翌日、旦那氏を連れて、病室に入った私は
目を疑った。
「じいじい、調子どんなんー!」
なんて、
いつもの調子でじいちゃんに話すつもりだった重みのない言葉は
じいちゃんを見た途端に
あっという間に、心の深い部分にスゥッと沈み込んでしまった。
言葉は、何も出てこない。
目に飛び込んできたのはほんの2週間前に元気な声で電話で話したじいちゃん
ではなく、ベットの上にあおむけになり、話すこともできずにただ眠る、私の知らないじいじい。 だった。
想像していたいつものじいちゃんの笑顔とはあまりにもかけ離れすぎた祖父の姿に、一瞬戸惑って
涙がこぼれて、
病室で付き添っていた父と母の顔を見ると、
涙目の母が
『離れて暮らしているCHIKAには、心配かけるからと思って言うのが遅くなったんやけど…じいちゃん、もうしばらくこの状態なんよ。』
と、私に言う。
じいちゃんに駆け寄って、ガリガリに痩せ細った祖父に抱きつき、
『じいじい、じいじい。』
と、泣きながら話かけた。
あぁ、そう言えば、小さいころ、
小川に架けられた木の橋を一人で渡ることが出来ず、今日みたいに『じいじい、』って呼んで泣きながら、
じいじいの背中におんぶしてもらって、小川の橋を渡ったな。
逆にじいじいをおんぶできるくらいに、私は大きくなったよ。
祖父と旦那氏の対面
母が
『旦那くん、じいちゃんの手握ってあげて』
と、旦那氏に言う。
『おじいちゃん。』
と、旦那氏がじいちゃんに話しかけて手を握る。
すると、それまではずっと寝たきりだった祖父は目をしっかりと、
パッと見開いて、旦那氏の顔を見つめ始めた。
『お母さん、じいじい起きたよ!!!』
と、私が母に言うと、
父も母も、驚いたようすで。
ずっと目を閉じていた祖父が、CHIKAと旦那氏君に会えて目を覚ました、と。
『じいじい。CHIKAな、結婚するよ!結婚式もするよ、じいじいに来てもらわんと結婚式出来んよ‥。じいじい絶対に結婚式来てよ !』
大好きなじいじいに反応してほしい。
じいじいにまた、笑ってほしい。
と、
じいちゃんの生きる気力に火を灯せそうな言葉を話しかけると、じいちゃんは
たった1回だけ コクン、と頷いて、
旦那氏の顔をまた目に焼き付けるように見つめる。
それが、大好きな大好きなじいじいと私の、
一生忘れることができない、人生で最後の会話になった。
あの日、旦那氏に会ってもらえて、本当によかったね。
まだまだ話したいことは、いーっぱいあったけど。
じいちゃんは、看護師である私の姉が働く病院に入院していた。
じいちゃんが亡くなったあと、私は姉から
『じいじいな、まだ話せるときに、病室に他の看護師さんが入ってくるたびに「千佳か?」って、CHIKAが会いに来てくれるのを待ってたんよ。』
と聞くことになる。
じいじい、ごめんね。
愚かで浅はかな自分が情けなくてどうしようもなくて。
当たり前やけど忘れてしまいがちな、”大事な人には会えるときに会うべき”ということを、じいじいが教えてくれたね。
じいじいと最後に会ってからもう10年以上が経った。
じいじい、会いたいなぁ。
祖父が遺した、ゼンマイ式の掛け時計
じいちゃんが住んでいた家には、最近まではばあちゃんが住んでいたけれど
だんだん弱ってきたばあちゃんもついに、施設に入り
今では、父と母がことあるごとに、家のお世話をしに行っている。
先日、父母と旦那氏と、じいちゃんちに遊びに行っていたときのこと。
ホコリまみれの掛け時計
物置のように使われている小屋で、荷物の片付けをしていると
ホコリにまみれてボロボロの、古ぼけた茶色い時計が目に止まった。
その時計は、小屋の中の柱に掛けられていて、もちろん針は止まったままで。
普段なら何も気にしないような、言ってしまえば、ただのガラクタのような、そんな時計だったけど
じーっと見ていると、なぜか気になって。
周りには、私しかいない。
なんとなく、触るのは、怖いようなワクワクするような。
思い切って柱から時計をおろして、まとわりついたホコリやゴミを拭いて、きれいにしてみたくなった。
濡らしたタオルと時計を持って、祖母の家の縁側に座りこんだときに
『その時計、どうしたん?』
と、母の声が。
『物置で見つけたんよ。動くんかわからんけど、きれいに拭いてみようと思って。』
そう答えると、母の横にいた父が
『その時計、じいちゃんが若いころからずっと使ってたやつやなぁ〜‥』
と、ポツリとつぶやく。
『あーそういえば!お母さんがお嫁に来たときは、ずっとこの時計使ってたわ。』
と、母も言う。
え!?じいじいが使ってた時計…!?まだ使えるんかな・・?
使いたい!
‥どうにかして、また蘇らせて使いたい、、!
もう使えない…?掛け時計からの、返事を待つ。
父『でもそれ、動くか?』
母『いやー…これ、電池じゃないからなぁ』
父『もう何十年も使ってないと思うぞ。扉、開けてみ。』
母『あー。もうゼンマイを回すネジが無いんちゃう?』
父『どれどれ…。。あ、あったあった!!』
と、父と母が時計を囲んであれやこれやと相談している話の内容は、私にはイマイチよくわからない話。
ただ、父と母の話の内容からなんとなーくわかったことは、
- 祖父がまだ若いころ、大事に使っていた時計である
- 電池で動く時計ではなく、ゼンマイ式で動く時計である
- しかし、時計として動くかどうかはわからない
- 壊れているかもしれない
- 部品がなくなっているかもしれない
ということ。
あーだこーだと言いながら、相談をしている父と母。
じいじいの時計が、どうか動きますように、、と祈る私。
しばらくして、祈る私の思いが通じたかのように、父が
『ゼンマイ、回るわ!使えるんちゃうか?』
掛け時計、私の部屋で堂々と。
父から聞いた
『使えるんちゃうか?』
という言葉を信じて、自宅へ連れて帰ってきた掛け時計。
大好きなじいじいが若いころ、大事に使っていた掛け時計。
どうやら、
”ゼンマイ式” と、呼ばれるらしい。
使い方もお手入れも、その仕組みもわからずにふと気になって手に取って、
ただ、【じいじいが使っていた】という事実だけで胸が高鳴り、自宅へ連れて帰ったこの掛け時計は、ググってみたところ、昭和30年代前半に名古屋で製造された時計だそう。
物置部屋の柱で何十年も眠っていた掛け時計は、時を経て、
令和2年、私の仕事部屋へ大移動。
そうとなったらもちのろん、ただの飾りにしておくわけにはいきません。
じいちゃんが使っていたとき並みに、バリバリ働いてもらいましょう。
動き始めた、掛け時計。【使い方】
なにしろ、時計が動かなくなったと言えば
『電池なくなったんちゃう?乾電池、単3?何本使う?』
な世代の私。
ゼンマイシキノカケドケイッテナニ…?
から始まったので、動かし方も使い方もまったくのド素人。
そもそも、じいじいのこの掛け時計がちゃんと使えるかどうかも、イマイチ確信は持てない。
飾りにするわけにはいかん、なんて言ったものの、マジで飾りになるんちゃう?な勢い。
とりあえず調べて、出来ることをすべてやってみよう。
このご時世、ありがたいよねぇ。。
HeySiriに聞けば、60年以上前に製造された時計の使い方までわかるんですもん。
時計の扉を開けてみた
とりあえず、ここを開けておけばなんとかなるやろう、的な雰囲気を醸し出している扉をそっと開けてみたのがこちら↑。
どうもどうも、初めまして。
じいじいの孫娘です。
ほうほう、なんだか古臭い匂いがしてきました。
古ぼけた木の匂い。嫌いじゃないこのカンジ。
ゼンマイを回してみる
こういう、アンティークっぽいカギみたいなの、昔あこがれたなー。
首にぶら下げてたりして。
このネジは扉を開けた中に収納されてて、このネジを使ってゼンマイを回すらしい。
この穴の中に、さっきのネジを入れて回すんですけどね、
右の穴が、針を動かすゼンマイ。
左の穴が、鐘を鳴らすためのゼンマイ。
ギーギー、という感覚の回し方。
時計の針を合わせよう。
時計の針を合わせるときのポイントは
【短い針は触らない】
長針だけ回すと、短針も一緒になって回るので、
短針は触らずに合わせましょう。
短針触ったら、なんかわからんけど微妙にズレるんやって。
このときに、長針を文字盤に押し付けてしまうと数字が傷つくので、文字盤に触れないように優しく回す。
長針が12時と6時を指すときに、鐘が鳴ります。(2時なら2回、10時なら10回鳴るよ。)6時のときというのは、30分を指すときに1回だけ鳴るみたい。
針を合わせるとき、12時と6時を指すときになる鐘もスルーせずにちゃんと鳴るのを見届けてから、針を回しましょう。
これもスルーしたら、何かがズレるらしい。何かはわからん。
振り子を振ってみると…
ここまできたら、あとは振り子を振ってみる。
このとき振り子を動かしたのと同時に、
今まで止まったままだった時計の針が
”チックタックチックタック…”
音を鳴らしながら、動き始めた。
じいじい、時計、動き始めたよ。
じいじいは昔、この音を聞きながら生活したり、仕事に出かけてたんやね。
動き始めた針と、鐘の音。
異様に大きい、チックタックの針の音も
ゴーン、ゴーンって知らせる鐘の音も、
コイツ、可愛いやつやなぁ、と、ついついナデナデしちゃうよね。
そんな私を遠くから見つめる、気良々の冷たい目。
鐘の音、昼寝のときにまぁまぁビックリするよ。
祖父が遺した掛け時計、余談
『21DAY 』
って書かれてるのは何かな?と思って調べてみたところ、この数字は
1回ゼンマイを回しきったら、21日間はゼンマイを回さなくても動くよって意味らしい。
30DAYとか、いろいろあるんやって。
じいちゃんがこの時計を使い始めたのは、じいちゃんが30代なかばのころやから、今の私と同い年くらいのときかな。
めぐりめぐって、じいちゃんがあの世へ旅立ったあとも、こうして30代の孫娘の私の時間を知らせてくれる、なんかロマンを感じちゃいます。
今も昔も変わらずに。
同じ時間に、同じ音で。
おわりに
10年以上前に最後に会ったじいちゃんとはもう会えませんが、じいちゃんが遺した時計の音がなるたびに
その存在をふと感じるような気分で、妙にホッコリする。
少し手がかかるけれど、
低くて重い音がと、どっしりしたたたずまいが素敵な、ゼンマイ式の掛け時計。
みなさんも出会う機会があったら、ぜひ鐘を鳴らしてみてください。
じいじい、ちか、色々あるけど
毎日頑張ってるよ。
そっちからちゃんと、見ててね。
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