みなさんこんばんは。
無事、産まれました。
3ヶ月前に。
(書こう書こうと思いながら、はや3ヶ月。)
出産と育児
光陰矢の如しでしたっけ?この言葉、約40年でここ一番実感していますね。
3ヶ月前の2025年8月21日、母子共に無事に第一子を出産しました。
あれから、3ヶ月も経過しているとはにわかに信じがたい。
そして、生後3ヶ月記念日と同じ2025年11月21日、結婚15年目を迎えました。
15年も(恋人期含めると18年)飽きずに一緒にいてくれる旦那氏に感謝です。
正常分娩で分娩時間は約10時間
出産予定日を8月13日に控え、身体中がむくみ、全身が鉛のように重い8月初旬。
気分もすぐれず、とにかく早く出産したいと早まる気持ちとは裏腹に、お腹の子はというとややのんびり屋さんの匂いがぷんぷん。
気分どころか体調もすぐれなくて焦る私。
やれウォーキングだ、やれスクワットだ舟漕ぎ体操だと安産体操なるものは一通り試しつつ、陣痛ジンクスとやらにも手を出してオロナミンCに焼肉にパイナップル。子が出てくる起爆剤になりそうなものは手当たり次第やり尽くし食べ尽くした。
それでも陣痛の気配は全くなく
予定日を超えた頃、担当医のDrから計画入院の話が出たことによって、いよいよ感が湧き始めてきました。
8月18日から入院し、19日から促進剤開始。
しかし、促進剤を追加してある程度の段階までいくとお腹の子の心拍が低下して促進剤中断!
というパターンが2日続き、メンタルはボロボロに。
『(お腹の子)出てくる気ないんや、、』と旦那に泣きつき、長引く入院生活に一時帰宅の話も出てきましたが、見かねたDrが『もう出したいよね!?』と。
『はい!(出したすぎて泣いてます!)』
それが21日の朝の診察。
この時点で子宮口は6cm。
Dr『破水させましょう。』
私『させてください!(今すぐにでも!)』
破水から出産まで
自然な破水を待たずしてDrの手によって破水させることを、人工破膜と呼ぶらしい。
8月21日午前11時、Drの処置が開始してすぐにパンっという感触とジャーっと流れていく液体の感触。
これが人工破膜か。『本来なら、自然にこの現象が起きるはずなのになぁ。のんびり屋さんはきっとマイペースな私に似たのだろう。』なんてぼんやり考えつつも、気持ちはもうすでに出産への期待ばかり。
すぐに病室に戻ってそのまま、今まで感じていた痛みとは比べ物にならないくらいの陣痛が襲い始める。
旦那氏が腰を押してくれる、しかし申し訳ないけど全然そこじゃない感。
てかむしろ痛い。
触られると余計に痛みが増す気がして、もういっそのこと、そっとしておいてほしい。
でも水が飲みたいとか、いま何時?とか、何か要求がある時は、助けてほしい。
しかし極力、喋るという動作にエネルギーを使いたくない。
最後にはベッドの柵を棒で叩いて旦那氏を呼ぶという、それこそ余計な労力使うんちゃうかというわけわからん状態に。
いきみたいけどいきませてくれない。
助産師さんは、まだだという。
もう限界です、絶対にこれは、
このオシモの穴の感覚は、
もうなにかが出てきてますよ、いいんですね?
そう心の中の声が聞こえた瞬間にナースコールしました。
私『なんか出てきてます。』
バタバタと集まってくる助産師さんたちとDr。
子宮口の確認をしたDr。
『あーもう全開や。分娩室行こう〜』
”な!?だから言ったやん!!!”
と心の底から思いました。
あのまま我慢してたら、絶対出てきてたぞ、頭。
分娩室に移動して、2時間ほど経ったころ。
これを最後のいきみにしようと決心した、渾身のいきみによってポコンと出てきました。
3,706gの元気な男の子。

結婚15周年で迎えた我が子

新生児期、産後うつになりかけたか、もしくはなったか?くらいに病みました。
自分はダメな母親、
自分は子供を泣かせてばかりの母親、
生産性がない自分、
毎日何もこなせない自分、etc。。。
とにかく自分を責めて責めて、苦しかった新生児期。
子育ては大変。
子育ては甘くない。
だけど、子供を望んで望んで、それでも授からずにもがいていた頃の自分は
大変で甘くない子育て、それすらも羨ましかった。
しんどそうな妊婦さんやママさん、きっと大変なんだろうな。
たくさん我慢していることがあるんだろうな。
でも、それでも羨ましい。
そう考えていた妊活期を、産後うつ中に考えたりもしました。
人はいつも、ないものねだり。
隣の芝生は、青く見える。
ないものをねだって、隣の芝生を見るばかりの自分は
いつももっと自分を、しっかり見つめる目を養わないと。
そして毎日に追われてまた、隣の芝生をチラ見し始めるの繰り返し。
ただ、どんな状況であっても
産まれてきてくれた我が子はやっぱりかわいい。
寝不足でも泣き止まなくても、ぐずぐず泣きつづけて家事が進まなくても、
私の人生における唯一無二の存在が産まれたと思う。
慌ただしい妊婦生活の中、お腹の中にいた息子にも負担をかけたことでしょう。
決して若くはない母体で、いろんな不安もあったけれど
こうして元気に産まれてきてくれて、ありがとう。
この先どんなことがあっても、お父さんとお母さんはあなたの味方だからね。
今、不妊治療を頑張っている人へ
私は、不妊治療の専門家ではないし
特別なことができる人でもなくて
何か伝えられることというと、せっかく記事を読んでくださったのに
これと言って思い浮かばなくて申し訳ないな、と思うのですが、、
クリニックによっては3BB以下の胚盤胞は廃棄する、なんていう意見も目に留まったことがあります。
今回私は息子を顕微授精で授かって、移植した胚のグレードは、一般的には低いと位置付けされる3BCというグレードの胚盤胞でした。
もしかしたら、着床するかもしれない、だけど、無理の可能性が高いかもしれない。
いろんな気持ちが混ざった移植でしたが、
それはグレードが4AAでも3BCでも同じ気持ちだと思います。
気弱になりがちな判定日までの数日ですが、
とにかくなるべく自分の子供である胚盤胞を信じること、
寝る子は育つという言い伝えにならって、移植後は早寝早起きを心がけること、
ギチギチに頑張りすぎずに適当な気持ちも大事にすること、
(私は胚移植前日、よもぎ蒸しの後も普通にビール飲んでました!汗かいた後のビール、うまかったw)
そして何より、夫婦が仲良くいられること、を心がけていました。
どなたかの参考になれれば、嬉しいな。
今後の目標
目標なんていうと、達成できなかった時にまた自己嫌悪になるんちゃうか。。なんて怯えてしまいそうなので、まぁ気負いせずに気楽に考えて、
心がけていきたいこと、にしておきます。
きららをより一層大切にする

私たち夫婦の第一子といっても過言ではないほど、大切な存在の愛犬きらら。
息子が誕生してから、きららにはたくさんの葛藤があったかと思いますが、きららなりに息子の存在を受け入れてくれて、いたずらも何もせずに見守ってくれています。
きららが我が家に来てくれてからの10年間、どれほどきららに助けてもらって支えられたことだろう。
不妊で悩んでいた日々、きららの存在のおかげで世界が広がりました。
そんなきららとの時間は息子の誕生によって減ってしまったけど、今まで以上に愛を伝えて、お出かけできるところはなるべくきららも一緒に行けるようにしよう。
笑って過ごせるように

妊活中にしても
妊娠中にしても、
子供が無事に産まれたとしても、
結局いつも、なんだかんだの不安はつきもので、
その時の状況で、心配事や悩みを自分で作ってしまっているようなもので。
大事な存在が増えるほど、心配事が増えるのも仕方がないけど
できるだけいつも、笑って過ごして
困ったことがあっても笑って済ませられるようにいたいなぁ。
もちろん愚痴も文句も言いますし、
弱音も吐いて泣き言も言いますが。(言わんとやってられんことある)
独身で彼氏がいなかったときの自分、
旦那さんと出会って恋人になったときの自分、
結婚して妻になったときの自分、
きららを迎えて夫婦+きららという家族の形で過ごした自分、
結婚15年目39歳で息子の母になれた自分。
どのときの自分もいつも私で、母になったからといって何も変わらず
いつも私は私だ。
振り返るといつも幸せで、ありがたいことがたくさんあった。
ムカつくことも腹立つこともあったし、
楽しいことも嬉しいこともいっぱいあったな。
夫婦ときららと息子とこれからも、できるだけ長く、何事もない平穏な日々が続きますように。


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