仕事が辛い。耐えられずに辞表を出した過去を持つ私が、今だから言えること。

あなたは、どうしても仕事が苦しくなったこと、ありますか?

どうしても、朝、玄関から足を一歩出すことができない。

寝る前になると、朝が来るのが嫌になる。

もう、どこかへ逃げてしまいたい。

そんな風に思いながら、仕事をこなしていたことはありますか?

7年前の25歳だった私は、そうでした。

今振り返れば、毎晩のように泣いていたなぁ。

私が、歯科衛生士の専門学校を卒業したのは2006年の3月のことで、

卒業後に決まっていた就職先である歯科医院は、翌月の4月に入社。

その歯科医院では、それから5年と2か月勤務しました。

今回は、その歯科医院で主任を務めていた私が

すべての仕事を捨てて、5年2か月で退職を決めたときのこと。

”仕事が辛い。耐えられずに辞表を出した過去を持つ私が、今だから言えること”

そんなお話です。

もしも今、

”退職して、他のことをしてみたい気持ちがある”

”どうしても、仕事がつらい”

”憂鬱で仕方がないけど、行かなければ…”

と思いながらも、頑張って力を振り絞って

日々の任務を一生懸命にこなしている人がいたとしたら、

この記事が目に留まって少しでも、気持ちが軽くなれたら嬉しいな、と思います。

①~④は、私の体験談、

⑤、⑥が退職に関しての私の考えになっていますので

興味のあるリンクをクリックしていただいたらそのリンクに飛べます(^^)

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①.歯車が狂い始めたとき

私の退職への道は

すべてこの、歯車が狂い始めてきたと感じたころからです。

1.派遣先へ

私が就職して4年目の夏、

当時、院長と仲が良かった別の歯科医院で

”衛生士さんが産休に入るので、スタッフがゼロになる。”

という事態が発生しました。

そこで、院長は仲の良い歯科医院(以下 ピカピカ歯科<仮名>)を助けたい一心で

私たちスタッフ(4人)のうちの誰か一人、助っ人として

ピカピカ歯科に派遣させるということに。

そこで、当時の主任だった私は院長に一人呼ばれ、

「KIRAちゃん、1年間ピカピカ歯科に研修のような形で助っ人に行ってくれるかい?」

そう相談を受けました。

ピカピカ先生には、私もお世話になっていたので

「私で務まるだろうか?」

という不安あったものの、

「頑張ってみます。」

と返事をして、2010年7月~ピカピカ歯科の一員として衛生士業務をこなすことになったのです。

2.派遣先からの帰還

派遣先のピカピカ歯科では、1年間の任務の予定でしたが

本所属していた歯科の経営が多忙を極めてきたため

私に、戻ってくるようにとの要請があり、

急遽、半年で派遣を打ち切ることに。

本所属の歯科に帰還することになりました。

それが、2010年12月のことです。

やっと、任務終了でホッとした気持ちが大きかったのを今でも覚えていますが、

ただ、そのあたりからがなんとなく

院長と歯車が合わなくなってき始めたころだったのだと思います。

3.言葉の食い違い

当時のスタッフは、私が一番の年上

25歳だった私を始めとして、24歳、22歳、20歳というスタッフ構成。

ひとつ年下で24歳のスタッフは真美ちゃん<仮名>といいますが、

派遣先から帰ってきた私に、院長が

「もしかしたら、次は真美ちゃんが派遣に行くかもしれない」との話が。

「わかりました」と返事はしたものの、

年の近い真美ちゃんを頼りにしていた私は、

「真美ちゃんが派遣に行ったら、しばらく寂しくなるなぁ」

という気持ちも大きかったのです。

そんな私は、数日経過したころ、院長に

「真美ちゃんが派遣に行くことに決定したんですか?」

こう、聞いてしまいました。

この言葉の意味を、あなたならどうとらえますか?

何気なく、聞いたことのように感じる方が多いでしょうか。

しかし、これは院長にとって

「派遣先での待遇が良かったので、真美ちゃんではなく、また私が行きたい」

という意味に捕られてしまったのです。

私からしたら、もちろんまったくそんなつもりはありませんでしたが、

言葉足らずな私の責任。

その日から、少しずつ院長の態度に違和感を感じるようになってきました。

②.主任という立場

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そんな中、極めつけの事件が起こります。

1.主任という立場を、勘違いしていた私

ある日私に、真美ちゃんを筆頭とした下のスタッフたちから

院長への不満や待遇への見直しの要望がありました。

給料の面、休日の面など、よくありそうな話。

事実、私としても同じように思うことはあったのですが

当時の歯医者の経済状況を知っていたので、

”院長にはあまり強く無理は言えんなぁ…、でもみんなもモチベーション下がっとるし、こりゃ困ったなぁ。”

と思ったのが本音です。

しかし、そう思っていた私の気持ちを見透かしたかのようにその瞬間、真美ちゃんが発したのは

「スタッフの考えを先生(院長)に言えるのは、KIRAさんしかいないですからね。」

困った私の心に突き刺さるかのような弾丸発言でした。

要するに、

”後輩は出しゃばれませんよ、

主任のKIRAさんが、院長に言うしかないんです、

しっかりしてくださいよ”

っちゅーことですね。

”そ、そうか…。よし、みんなの気持ちはわかった。

ほないっちょ、年上の私が院長に取り持ってみるか!”

と、心の中で思った私。

”主任”という立場 = ”スタッフの意見を代表して、院長との間を取り持つ仕事”

と勘違いしている若僧で至らない私は

スタッフ全員と一緒に、みんなで話し合ったうえで

ある日の就業後、ミーティングを開いてもらい、

スタッフと一緒に、院長へ思いのたけを打ち明けました。

しかし。

そこでついに、完全に、

院長の気持ちにヒビが。

2.口は災いのもと

一度口にしたことは、もう呑み込めません。

もう、訂正できません。

院長は、怒りに満ちた顔で

「ほ~……。KIRAちゃんの気持ちはよくわかったよ…」

そう、言いました。

”私の気持ち?”

院長は、私がミーティングで議題に出した内容をすべて、

”KIRAが思っている意見を、スタッフみんなで訴えてきている” 

という解釈で受け止めたんだと、その瞬間に理解しました。

その日は嫌な雰囲気のまま、帰路につきましたが

翌朝、職場に到着した私に待っていた院長からの言葉は

「KIRAちゃん、今月から、主任という役職を降りてもらうよ」

それからは、院長は

私が治療のことなどで話かけても、ろくにとりもってくれない、

無視に近いような状態に。

あの時期は、一番辛かったなぁ。

だけど、すべては、”主任という立場”

何とか後輩の気持ちに応えたい、

より良い環境でみんな気持ちよく働かせてもらいたい、

そんな風に、間違った方向へ事態を持っていってしまった

自分自身の責任だったと思います。

③.退職への葛藤

それからは、毎日が苦しくて仕方がなかったな

自責の念。

後悔。

努力不足。

”優しい院長が、口を利かなくなった。

院長のことも傷つけてしまったんだろう。

もっと、私がしっかりとうまくやれれば。”

1.このまま、逃げる?

自分の中で、このまま退職してしまうことは

”今の自分から逃げてしまうということではないか?”

”弱い自分、失敗した自分に目を背けるつもり?”

そんな風に、毎日毎日考えていました。

2.担当患者さんは、どうなる?

その頃、完全担当制だったので

私からした、担当患者さんへの情や熱い気持ちは

退職という道を遮るものでもありました。

逆にいうと、

担当患者さんが、毎日私に元気をくれる。

だけど、辞めたくても

このままこの患者さんたちへの仕事を捨てて

辞めてしまうことは無責任すぎるのではないか?

そんな葛藤もありました。

苦しい。

辛い。

逃げたい。

答えは出ないまま、毎日が過ぎていきます。

④.退職すると決めてから

そんな毎日で

自分の中には、葛藤はたくさんありましたが

その分、たくさんの人たちに話を聞いてもらいました。

1.口を揃えて”辞めるべき”

話を聞いてくれた人たちはみんな、

口を揃えて、

「絶対に辞めたほうがいい!」

と、迷う私の背中を押してくれました。

こういうときって、

客観的な意見がすごく有難いんですよね。

自分は、悲しみの渦中にいるので

周りが全く見えていない。

自分の悲しみや、つらさに精いっぱい

物事の本質が見えていなかったと思います。

そんな私に、周りの人たちは

”辞めたほうがいい” と一方的に言うだけではなく

”辞めたほうがいいと思う理由” もつけてアドバイスをくれるので

なおさら、説得力があるわけです。

そうして、

心強い友達や家族、エス氏に背中を押してもらった私は

事件発生から約1か月後にようやく、院長に

「退職させてください。」

と、伝えることが出来ました。

きっとこの、みんなの後押しがなければ

ずっともやもやと悩むだけ悩んで

考えなくてもいいようなことまで考えて、

労力を使っていたことでしょう。

2.退職が決まればこっちのもん。

退職願を告げた私に対して院長は、

「そうですか。わかりました。」

そう、サラリと放ちました。

はっはーん。

さては、院長さん、

早く私のほうから、辞めてほしかったんやね?

私が退職願いを出すのを、ずーっと待ってたんやね!

その瞬間に何かがプツンと切れた私は、

「退職決まったらこっちのもんや

と言わんばかりに、あとは野となれ山となれ。

患者さんに対しては、もちろん今まで通り接します

院長がそう来るなら、私もそう返します。

今思えば、大人げないですね(笑)。

25歳の私からした、精一杯の対抗でした。

⑤.退職後、今だから言えること

退職願を出してから1か月後、無事に退職できた私ですが

実は、退職してすぐは

「ほんまに、これでよかったんかな?」

「自分は、間違ってなかったかな。」

「やっぱり、逃げてしまった…」

とかっていう、ちょっとした自己嫌悪に陥ることもありました。

だけど、退職から7年経った私は今、ハッキリと

「退職して、よかったーーー!!!」

と、大声で言えます(^^)

1.退職は、”逃げ” だった?

果たして、嫌なことがあって退職するということは

”逃げ” なのでしょうか?

嫌なことがあって退職するということは、世間から見て

”楽なほうを選んだ”

ということになるのでしょうか?

私は、嫌なことがあって退職したことは

”自分の人生を、より豊かにするための選択”

だったと、断言できます。絶対に。

そうとしか、考えられません。

あのとき、あのタイミングで辞めていなければ

出会えていなかった大切な出会いが、たくさんあります。

次に就職した歯医者での出会いにしても

職業訓練校で出会った友達との出逢いにしても、

私の人生で、欠かせない大きな出会いは、

あの退職のおかげで、手に入れることができたんです。

その出会いはすべて、

私の人生をより豊かにしてくれる出来事でした。

2.ストレスによる、リンパ種

実は、退職後しばらくして、体調不良に気づきました。

きっと、勤務中は気持ちを張り詰めていたので

気が抜けた退職後に、症状が現れたのでしょう。

症状としては、

身体が、熱っぽい。

ずっと、37度ちょっとの微熱がある。

朝、目覚めて起きたら身体がバキバキで痛くて動けない。

一日中、けだるい。

なんか変やなぁ…。と思っていました。

そのころエス氏と同棲中だったので、周りの人たちは

「あらら!もしかして、できちゃった?笑」

なんて冗談を言ってくるような、そんな症状。

ま、まさか!? と自分でも思い始めて、

調べてみたけれど、妊娠ではないみたい。

じゃあなんだろう、このだるさは…。

この時期はもう、エス氏との結婚が決まっていたので

結婚式のドレスの試着なんかにも行っていて

「退職という困難もあったけど、結婚式を楽しみに乗り越えていこう!」

と、二人で励ましあっていた時期でもあります。

そんなある日、

何気なく触った首元にある、小さなしこり。

「なにこれ…?」

そのしこりを発見したときに、一緒にいたのは

現役看護師である、実の姉。

姉に、軽い気持ちで

「なぁなぁ、ここにコリコリがあるんやけど、なんやと思うー?」

そう聞いてシコリを触ってもらったあとに、姉は

「なにこれ、なんやろう。ちょっと気持ち悪いな…。多分問題はないだろうけど、一応すぐ病院行ったほうがいいよ。」

そう、私に言いました。

姉がそう言うなら、と翌日近所の外科をさっそく受診。

しかし、院長先生でさえ、渋い顔をして

「…なんやろうな、これは。」

と言いながら、週に一回通院するだけの始末。

毎回体温を計って、シコリを確認するだけで体調は一向に良くならない。

これはらちがあかんわ、と思った私は大きな病院に勝手に転院したのです。

そこで、やっと

「良性か、悪性か?リンパに出来ている腫瘍は腫瘍なので、詳しく調べましょう」

という診断になりました。

細胞の診断をしたり、詳しい診察を重ねて出た病名は

「亜急性壊死性リンパ節炎 」いうもの。

悪性のリンパ腫なんかな、と不安ではありましたが

先生によると ”良性の腫瘍” だとのこと。

ここで、

「原因は、何ですか?」

と聞いた私に、先生は

「はっきりはわかっていないけど、ストレスとか、免疫力の低下の場合が多い

と、仰いました。

そのとき改めて、

退職するかどうしよう?

先生は自分のことを無視やし、

でも自分の説明の仕方が悪くて自業自得やし…

だけどやっぱり、仕事がしんどい、行きたくない。

やめたいけど、どうしよう。

こんな状態が、知らず知らずのうちに

自分自身の身体や気持ちに大きな負担やストレスをかけていたことに気づいたんです。

今回は、命に関わるものではなかったけれど、あのまま無理して働いていたら

身体も心も赤信号を出していたのに気づけてなかったかもしれん。

もっと、重い症状になっていたかも…。

そう思いました。

何万とあるうちの仕事や職業のひとつのために、

たったひとつの大切な身体や心を、犠牲にする必要はありません。

そのシコリは、病名を診断されて以降

ストレスフリーになってしばらくしてから、自然に消えていました。

3.自分が思っているほど、周りは困らない。

退職するかどうかのときに

不安に思っていたことの理由として

・自分がやめて、穴が開いたあと他のスタッフに迷惑がかからないか?

・担当の患者さんのその後を、診させてもらいたかった…

この二つがありました。

やっぱり、いくらきっぱり辞める!とは決めても

自分が辞めたあとのことは、気になるものです。

結論、辞めたあとも

何の問題もありませんでした(笑)

自分が辞めたからといって

職場が廃業することなんてまず無いですし、

そりゃ、一人抜けたら多少他のスタッフも忙しくはなるかもしれませんが

スタッフ一人いないならいないで、なんとかなります。

なーんの責任も感じることはない!と、心底思いました。

4.縁は続く

人生の中のご縁って、不思議なもので

どんな状況になっても、続くものは続くもんです。

せっかく密な関係になれたのに、このままサヨナラはつらいな。

そう思っている人って、たとえ毎日会える状況じゃなかったとしても

何かしら、繋がっていられるものだと気づくことができました。

実際に、この退職で会えなくなった患者さんは

もう7年前の退職にも関わらず今でも

個人的に年賀状のやりとりをさせていただいている方々が数名いらっしゃいます。

退職が、最後のお別れではない!

繋がるご縁、願えば、退職しても続きますね。

5.金銭的な問題

そうは言っても、生活が苦しい!!

安定して入っていた収入がなくなるのは厳しい。

わかります。

毎月頂いていたお給料、急になくなるのは困りますよね。

ただ、次の職が見つかるまでの間は

つなぎでバイトや派遣で働くこともできます。

それに、またそこで

新しい素敵な出会いが待っている可能性は大いにあります。

つらいことを乗り越えてたどり着いた先って、

いいことが待っていることもよくありますよ(^^)

山あり谷あり、とはよく言ったものですね。

辞めてしまっても、少し休んで

またできることから始めればいい、と私は思っていました。

お金のことは、どうにかなっても

身体を壊して取り返しのつかないことになったら

自分自身だけではなく家族全員が悲しむことになります。

いっそのこと収入が減っても、身体と心の健康が一番!

⑥.最後に

今回、この記事を書いたのは昨年末、

私の大切な友達が、仕事をやめようかどうしようか?と迷っているとのことで

連絡があったことがきっかけでした。

男友達で、奥さんも私の友達。

その男の子は、家族を養っています。

1年も働いていない、と男友達は言っていましたが

それでも私は、

苦しくつらい中で、毎朝憂鬱を抱えて出勤してほしくはなかった。

奥さんからも話は聞いていたので、余計に。

奥さんからの

「辞めて、新しい職場でやり直したほうがいい」との説得と理解があり、

今ではその男友達は、新しい職場で頑張っているそうです。

7年前の自分を、ふと思い出し当時のことを綴った、

”仕事が辛い。耐えられずに辞表を出した過去を持つ私が、今だから言えること。”

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!(^^)

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